中舘の観音寺山門右手の広場にあり、墓碑の正面に「舊下館藩主石川総管之墓」と刻まれています。総管は、天保12年(1841)8月9日江戸で生まれ、嘉永2年(1849)12月18日父総貨の遺領を継いで9代藩主となりました。安政2年(1855)12月16日に従五位下若狭守、慶応2年(1866)6月に講武所奉行、同年8月に若年寄となり陸軍奉行を兼務、同3年正月11日には若年寄兼陸軍副総裁に累進しました。同4年(1868)1月に病のため辞任し、明治2年(1869)版籍奉還により下館知藩事となりました。同年7月職を辞し子爵となり、同32年(1899)6月23日東京芝愛宕下の屋敷で亡くなりました。戒名は「顕光院殿大教正総管道照大居士」。 |
下館藩主石川総管の墓(しもだてはんしゅいしかわふさうち(ふさかね)のはか)
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- 【更新日】2010年1月21日
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