指定区分
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市指定文化財(有形民俗文化財)
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指定年月日
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昭和53年4月1日
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所在地
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関舘地内
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管理者
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関舘自治員
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時代・時期
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江戸時代
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千人仏は、千人撞木(しゅもく)、千人坊主とも呼ばれています。
江戸時代後期には、たび重なる飢饉(ききん)や天変地異によって多くの餓死者を出しました。こうした死者の霊を慰め、その冥福(めいふく)を祈るとともに二度と天災、地変が起こらぬようにと、神仏に加護を念じ、念仏用の撞木にちなんで、五大尊(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)及び千人の法体を刻み、石碑を建てて回向(えこう)したといわれます。