当地には、桜川市(旧岩瀬町)妙法寺の末寺であった安養寺(現;廃寺)がありました。当寺の僧舜昌の代に、三里四方の郷村を勧化して郷土安楽のために六十六部供養塔として建てたものです。基壇には、享保10年(1725)の年号と江戸の石工である山本吉郎兵衛の手によるものと記されています。 |
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
このページの内容に関するお問い合わせ先
- 【ID】P-308
- 【更新日】2010年1月21日
- 【アクセス数】
- 印刷する
当地には、桜川市(旧岩瀬町)妙法寺の末寺であった安養寺(現;廃寺)がありました。当寺の僧舜昌の代に、三里四方の郷村を勧化して郷土安楽のために六十六部供養塔として建てたものです。基壇には、享保10年(1725)の年号と江戸の石工である山本吉郎兵衛の手によるものと記されています。 |