小栗判官伝説
小栗伝説の世界1
小栗は二条大納言兼家が鞍馬の(くらま)の毘沙門(びしゃもん)から授かった申し子である。知勇兼備の秀れた武者で、十八歳のとき、兼家夫妻が妻を娶わせようとしたのを、いろいろ難癖をつけて妻嫌いをし、七十二人も撥ねつけた剛のものである。その小栗があるとき鞍馬(くらま)に参詣の途次、みぞろが池の大蛇に見染められてこれと契り、都中の風聞の種となる。父兼家はわが子なれども心不浄のものは都に置くことはできないと、常陸国玉造に小栗を流す。小栗は常陸に住んでも大剛ぶりを発揮し、多くの武士を配下に従えて威勢を振う。
小栗伝説の世界2
ある日玉造の御所に、後藤左衛門という山伏体の行商人が現れ、商いのかたわら、武蔵、相模の郡代横山のひとり姫照手の美しさをいいふらす。小栗はこれを聞き、見ぬ恋に憧れ、後藤に仲介を頼んで恋文を書く。後藤はその文を持って、横山の館に着く。照手は下野国(しもつけのくに)日光山の申し子で、観音が常に影身に添うように守護する女性である。父横山や兄たちに厳しく監視されて育ったこともあって、後藤から手渡された恋文が自分あてのものだと知って狼狽しこれを破り棄てる。後藤は観音経をひいて文を破った照手の罪を攻め、返書を強要する。照手はやむなく小栗に返書を書く。照手の承引は一家一門の関知しないことであり、そこに一抹の不安はあったが、小栗は強引に、十人の臣人を従え横山の館に入り、乾の局で照手と契る。父横山は理不尽な小栗の婿入りに腹を立て、七十騎の軍勢を向けて殺そうとするが嫡子家継に止められる。しかし怒りは静まることなく、三男の三郎の意見を入れて、稀代(きたい)の荒馬(人食い馬)、鬼鹿毛(おにかげ)に小栗を乗せ、人まぐさにすることに決める。小栗はまえもって鬼鹿毛に宣命を含めて柔順にし、ついにこれを乗りこなし、曲乗りなども披露する。あまりの見事さに横山一門は唖然とするが殺意は衰えず、第二の手段として蓬 山の宴に小栗を招き、毒殺の計画をねる。この企みを察知した照手は自らが夢みた悪夢の数々をあげて、小栗の出仕を制止する。しかし小栗は、大剛の者の習いとして招きを断るわけにはいかないとして十人の家臣ともども宴に出、ついに横山の手にかかって毒殺されてしまう。そして臣下十人は火葬に、小栗一人は土葬として葬られる。(これまでがこの物語の前半を作っており、後半は主役が入れ替り照手が中心になって進行する。)
小栗伝説の世界3
横山は、「人の子を殺して、わが子を殺さねば、都のきけい(聞こえ)もあるから」という理由で照手を殺すことにし、鬼王鬼次に命じて、相模国のおりからが淵に沈めることにする。しかし鬼王鬼次は照手を救い、牢輿(ろうこし)に入れて流す。照手は相模国(さがみのくに)のゆきとせが浦に漂着し、そこの村君(むらぎみ)の太夫(たゆう)に拾われて養われる。しかし村君の太夫の姥(うば)(妻)は照手に嫉妬し、生松でいぶすなどの折檻をするが、観音の加護のある照手には何事もない。姥はついに照手を六浦(むうら)が浦の人商人に売る。これ以降照手は転々と諸国を売られ歩き、北陸道から近江の大津へ、さらに美濃国青墓(みのくにあおはか)の遊女宿よろず屋の君の長のところへ売られてくる。
よろず屋の長は照手に遊女となって客を引くことを命じるが、照手は頑固に拒み水仕(みずし)として働くことになる。そして常陸小萩、念仏小萩とよばれて苦しい労働に明け暮れする生活を送る。
一方、話かわって、冥土に堕ちた小栗主従は閻魔大王の前でその罪を裁かれる。そのとき住人の臣下は、たっての願いといって、土葬にしてある小栗の身体を今一度娑婆(しゃば)に戻してくれと頼む。
小栗伝説の世界4
小栗判官まつり 閻魔は臣下の忠節に感じて願いを聞き入れ、藤沢の上人(しょうにん)(遊行寺)(ゆぎょうじ)のめいたう聖のもとに返すことにする。やがて小栗は物いえぬ餓鬼阿弥(がきあみ)という醜い姿のままで、閻魔直筆の「この者を熊野本宮、湯の峯の湯に入れて本復させよ」という胸札をつけ、うわのが原(遊行寺の近く)にある小栗塚を破って出てくる。
藤沢の上は小栗に餓鬼阿弥仏と名をつけ、土車に乗せて自ら先頭に立ち、熊野本宮湯の峯目指して引いていく。途中上人と別れた土車は、なおも街道の人々の援けによって東海道を上り、やがて青墓のよろず屋の長のところへ着く。
照手は小栗のなれの果てとは知らず、餓鬼阿弥と対面し、夫の供養のために車を引くことを思い立ち長から三日の暇をもらう。そして手に笹を持ち狂女の風躰となって、先に立って土車を引き、青墓より近江に入り、大津、関寺とたどり、玉屋の門前にまできて止まる。そこで餓鬼阿弥と一夜を明かし、後ろ髪をひかれる思いで土車を捨てて、約束の三日の期限を守るため、照手は長のところへ帰る。
しかし土車の道行きはなおも続き、新しい車引きの旦那を得て、住吉明神、堺の浜とコースをとって引いていく。そして本宮湯の峯の近くで車道が絶えたので、やむなく餓鬼阿弥一人、大峯入りの山伏にかつがれて、目的地の峯の湯に着く。小栗はそこで七七四十九日の間湯治に専念し、ついにもとの小栗に本復する。
小栗伝説の世界5
小栗は、熊野権現の加護を受け、金剛杖(こんごうづえ)を授かって山伏姿に身を変え、まず京の二条にある父兼家の館を訪れる。そこでいったんは館を追放されるが後、実子小栗とわかり、親子は久々の対面で涙を流す。小栗は次に帝と対面し、五畿内五箇国を与えられ、また美濃国も馬の飼料としてもらい受ける。小栗は昔の奉公人三千人を従え、青墓の宿の長の君のところへ赴く。そこで水仕となって働く照手と対面し、すべてが明らかになり、二人は喜びの涙にひたる。小栗は長者夫婦を罰しようとしたが、照手の取りなしで恩賞を与え、また横山に対する報復も同じく照手の言を入れて思い止まる。横山は子に勝る宝はないと、十駄の黄金と鬼鹿毛を馬頭観音と祀る。それにひきかえゆきとせが浦の姥や、横山の三男三郎の対しては極刑を下し、小栗の厳しさの一面をのぞかせる。小栗照手夫婦はやがて常陸に戻り末長く長者として栄え、八十三で小栗は往生をとげる。神仏は大剛の者小栗をたたえ、末世の衆生(しゅうじょう)に拝ませんと、美濃国安八郡墨俣(すのまた)に正八幡荒人神として祀り込め、また照手はそれより十八丁下に契り結ぶの神として祝い祀られる。(小栗伝説の世界1~5については、「小栗氏と小栗伝説」(旧協和町教育委員会 発行)よりの引用)
伝説 小栗判官と照手姫について
その昔。浄瑠璃や歌舞伎など、江戸を中心に俄然有名になった小栗判官と照手姫とはどのような人物で、旧協和町とのかかわりはどのようなものだったでしょうか。最近の歴史ブームと共に郷里の史的人物の評価と顕彰が盛んに行われるようになってきました。
これらが、ふるさとの活性化へのステップになっているようです。
小栗判官と聞いても非常にあいまいな答えしか返ってきません。大まかには分かっているつもりでも、本当は良くわからないのが実状のようです。
どこまでが史実で、どこからが伝説なのか、もちろん明確な基準はなく、あってもその根拠は希薄なものでしかないようです。
-その一説をたどると-
中世の小栗(旧協和町)は伊勢皇太神宮の神領で御厨と呼ばれ、その管理を代々世襲したのが常陸平氏一族の小栗氏でした。
応永三十年。今からおよそ五百九十余年前の頃、常陸小栗の第十四代城主、判官小栗満重(判官は当時の官位)は関東公方・足利持氏に攻められ、小栗方は苦戦の末ついに落城してしまいました。
その満重の子、小栗助重は涙を流し城を捨てて、主だった家臣十名と共に一族に当たる三河国(愛知県)に逃げのびる事になってしまったのです。
この時の家臣十名が小栗十勇士であり、幾多の合戦で武勇をとどろかせた強者たちでした。
三河めざして落ちて行く途中、相模国藤沢宿(神奈川県藤沢市)で横山大膳という豪族の家に泊まりました。この横山は実は盗賊で判官は、毒殺されかかったが、遊女照手姫は宴席で舞をまいながら同じ歌を繰り返し歌って毒酒であることを助重に伝えたのでした。
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- 2012年2月3日
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