筑西市下館薪能(震災の影響により現在休止中)
静かなる躍動、時を越えた幻想美の世界。
下館薪能は、平成元年 市制施行35周年記念事業として茨城県内では、初めて開催されました。
伊達政宗の祖縁の地、中館観音寺境内において、かがり火の炎に照らされた幽玄の世界に多くの皆様が魅了されました。
本市出身の洋画家で文化勲章受章者、日本芸術院会員の森田茂先生のご尽力により、実現したものです。
以後、毎年秋に行われていましたが、現在は震災の影響により休止中です。
かがり火の明かりの中、凛とした空間と舞台を囲む自然、そして能楽師の見事な舞いの調和がかもし出す幽玄の世界は、私たち現代人を古典芸能の情趣で包み、遠いいにしえに誘ってくれることでしょう。
薪能とは・・・・・
「薪能」というのは、「薪猿楽の能」の間を省略した呼び名で、既に室町中期には通用していたようです。もともと奈良興福寺の修二会(しにえ)の後の余興のようなものだったのです。修二会に使う薪は、興福寺の東金堂・西金堂で、「薪迎」の儀式で運び込んで焚く、神聖な灯で上演されたことから、「薪猿楽」(「薪の神事」とも)と呼ばれました。無論、灯は当時の照明に違いありませんが、一つには火で潔める意味もあるのです。
その初めは平安中期頃といわれていますが不明です。能楽の大祖、観阿弥の頃から修二会の行事に関係なく、鑑賞のための薪能が催されました。室町期からは、旧暦2月5日から晴天7日間行うこととし、大和四座(円満井・坂戸・結崎・外山)が一座ずつ担当しました。尤も明治維新後は殆ど行われず、僅か第二次大戦末期に、一二度行われただけで、戦後、漸く復活したものの本来の姿とは変わって、多分に観光的になり、今では観光も兼ねて、陽気の良い五月中旬に催されています。
近来、「薪能」が全国的に盛んになり、一大ブームとなったのも、混濁の現世から束の間でも原始の自然に返り、野外での開放的雰囲気を満喫できる、楽しみがあるからでしょうか。薪能が日本古来の伝統芸能と大衆との、大きな接点になれば、こんな喜ばしいことはありません。
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- 2010年1月21日
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