教育・文化・スポーツ
佐藤英信の墓(さとうひでのぶのはか)
指定区分
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市指定文化財(史跡)
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指定年月日
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昭和52年3月24日
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所在地
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岡芹地内
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管理者
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岡芹自治会
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時代・時期
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江戸時代
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大きさ
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高さ1.64m、厚さ24cm
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員数
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1
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岡芹の月海山観喜院医王寺(廃寺)墓地北端の中央にあり、元禄3年(1690)竪者法印乗尊(医王寺住職)が供養のために建てた笠塔婆です。墓碑は小松石で、形もよく整っており元禄時代建立の様子を残しています。
佐藤英信は、佐藤継信(源義経の家臣、屋島の合戦で平能登守教経の矢を受け戦死)の子孫です。父祖の戦地視察のため諸国を廻り、永仁3年(1295)当地に足をとどめ、薬師堂を建て瑠璃光如来を安置しました。さらには医王寺を建立して、月海法印別当となり88歳でこの地で没しました。