板谷波山と板谷波山記念館についてご紹介します。


 板谷波山 (いたや・はざん)
 
文化勲章受章 茨城県名誉県民 筑西市名誉市民


 近代日本の陶芸界が生んだ不世出の陶芸家・板谷波山(1872-1963)。

 波山陶芸の特徴は、「皇帝の磁器」と称される中国官窯古陶磁の洗練された造形を骨格とし、そこに19世紀末の西欧のアール・ヌーヴォースタイル、つまり優雅で官能的な装飾性を加えた、いわば東西の工芸様式を見事に融合させたところにあるだろう。

 完璧なまでに研ぎ澄まされた波山のうつわは、時を越えて神々しき光を放ち、みるものを静寂の世界に誘ってゆく。


 (荒川正明「波山陶芸の舞台裏―陶片が語る技とこころ―」『板谷波山 陶片が語る技とこころ』2009年、財団法人波山先生記念会 より抜粋)

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 板谷波山記念館が建つ下館は、波山が生まれ育った町です。東京に工房を構え陶芸家として飛躍を遂げて行く波山でしたが、常に郷里を深く想い、惜しみない愛情を注いでいました。

  
波山の生家(板谷波山記念館敷地内)


  波山は明治5(1972)年3月3日に、茨城県下館市(現、筑西市)に生まれました。下館は木綿の街。ここで育まれた波山は、のちに染織品の文様をやきものに見事に生かしてゆくことになります。



田端の工房の再現
 明治18(1885)年に数えの14歳で、波山は下館小学校を卒業。明治20(1887)年に上京します。

 その後、貧困や数々の苦難を家族と乗り越え、東京で成功を収めた波山でしたが、昭和20(1945)年4月3日の空襲で焼け出され、下館の生家に身を寄せます。この疎開生活は、東京・田端の住まいを再建するまで5年間続きました。

 波山は田端に戻った後も、地元の小学校へ寄付金を送り続けたり、町の高齢者には鳩杖を贈呈、戦没者遺族には香炉や観音像を贈るなど、深く郷里を愛していました。
 亡くなる直前にも、それまでに貯めた資金を元に「板谷波山奨学金」を設立しています。

 板谷波山記念館には、田端の工房で実際に使われていた三方焚口の倒焔式丸窯(田端より移築)や、ロクロ台、各種の型類や道具など、波山芸術の生まれた場が保存されています。
 展示室には、麗しい作品のほか、道具類・素焼・陶片などの制作の様子がうかがえる様々な資料、波山による掛軸や素描など、ここでしか見られない貴重な展示品があります。


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三方焚口倒焔式丸窯


展示室内の様子
(展示内容は企画により変わります)





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